仲本京子の絵画について

                             GALLERY ATOS 
                             (ギャラリー・アトス)

                             オーナー長嶺 豊

                          
  現代の希薄短小な社会で人間らしさを忘れた人々は、息苦しさや終息感を感じている。現代人の心が切実に求めているのは「楽園願望」と言われている。

 仲本京子の「楽園シリーズ」の絵は、誰もが小さい頃、無心で遊び回っていた無垢な子供時代の心を思い起こさせる。
「海、空、人、風、音…。賑やかに、鮮やかに。そこは限りない楽園。」と、仲本本人がストレートに語る画面からは、生きる充実感が感じられる。

 最初、アジア風無国籍の楽園にいた子供達は、いつか都会の中でも自由奔放に動き回っている。ここもまた、子供達には楽園なのだ。
 心の中に永久の子供世界を持つこと、これが現代の人々が忘れてはならないことだろう。


 また、仲本の絵は「楽園シリーズ」の他に、「肖像(家族)シリーズ」がある。
 何らかの関係のある人々が、カメラを意識するように一緒に並んで描かれている。何気ない微妙な空間は優しさで包まれ、独特な雰囲気を醸し出している。「楽園シリーズ」の中にもそれが存在している。
これが仲本京子の世界なのである。

 ファインアートの世界では、仲本京子の絵は「ルソー」を開祖としたナイーブ派に属する。ナイーブアートは、近年では特にヨーロッパ等でクローズアップされ、日本でも美術館などで盛んに紹介されている。
 仲本自身もインターネットを使い積極的なアプローチを続け、アメリカの画廊からのオファーを獲得するなど、ダイナミックでグローバルな活躍が期待される。

これから「楽園シリーズ」「肖像シリーズ」がどのような展開をみせるのか、また、新たなシリーズが生まれるのか。

今後がとても楽しみな画家である。



楽園シリーズのこと

 by Kyoko Nakamoto

楽園ってどこにあるんだろう。
楽しい暮らしって何だろう。
幸せって何だろう。

バカンスで訪ねる南の島?
欲しいものが買える日々?
家族がいて、友人がいること?

そう。確かに、そうにはちがいない。
だけど。

頭の中をクリアーにして、耳をすますと
見えてきた、聞こえてきたよ、別のものが。

毎日、楽しさで胸をドキドキさせていた
幼い頃の自分の姿。

近所の空き地で充分だった。
綺麗な服もリボンも欲しくなかった。
見せかけの友だちはいらなかった。

遊んで、食べて、走って、見つけて、作って、
けんかして、泣いて、仲直りして、笑って。

互いが対等で認め合う。それが幸せの始まり
なのかもしれない。何かを“やる”ことに、限りない
楽しみを見いだすだろう。

楽園はあった。自分のいるところに。心の中に。