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6.In San Francisco ~meet the Cousin~(サンフランシスコで従姉妹と会う)

伯母(父の姉)がサンノゼに住んでいる。その娘、いとこは私と同い年で、シリコンバレーを中心に活躍する公認会計士。せっかく西海岸へ行くので、30年ぶりに伯母といとこに会いたいと思い、渡米前に連絡を取った。
平日にもかかわらず、サンフランシスコ最終日の夜、いとこは娘たちと伯母をつれてサンノゼから会いにきてくれた。感動の対面。いとこが予約してくれたレストランで、楽しい2時間の濃密なひとときであった。いとこの娘と息子はとても可愛く、賢く、スポーツ、アートと色々なアクティビティに取り組む素直なティーンネージャーである。14歳になる娘が、私に見せるため、今夢中になっているドローイングの作品をいくつか持ってきてくれた。今流行りのジャパン・アニメの要素を取り入れた美しい作品である。10歳の息子は、空手の腕が抜群のようだ。海外出張の多いハードワークをこなしながら素晴らしい子育てをして、本当にしっかりもののいとこを誇らしいと思った。

伯母はその昔、沖縄からアメリカ留学の試験に合格した女性第一号のひとりで、大学講師となり、気象学博士と結婚してアメリカに移住した。優秀でテキパキとした伯母は私の憧れる女性の1人であった。学生時代、伯母のように海外に飛び出していきたいと、いつも思っていた。高校生の頃、伯母に「アメリカに留学したいから滞在させてくれないか」という趣旨の手紙を書いたことがある。しかし伯母はピシャリと私に言った。「何のための留学なの?貴女は何がしたいの?憧れだけで目的がない留学は、何の意味もありません。」
まさにその通りであった。私には得意なこともなく、勉強ができる方でもなく、何の目標も定まってはいなかった。時は流れて3人の子供を持ち、画家になった。
    
あの時の伯母の言葉がなかったら、甘えたいいかげんな人生を送っていたかもしれない。画家として(ありがたくも)しっかり生活できるようになった今、やっと、伯母にほめてもらえる人間になれたと思う。ニューヨークに通いだしたとき、伯母はホテルにまで電話をくれて、一番に喜んでくれたっけ。

                 
親戚とは不思議なもの。たとえ近くに住んでいても頻繁に会うわけではないし(特に私は、ずぼらなので)、遠いからといって身近でないというわけでもない。
お互い生活はそれぞれあって、会ったときに気持ちが通う。素晴らしいいとこがいる、伯母がいる、それだけで充分心の支えとなるではないか。私も人に対してそういう存在であればいいなと思う。

伯母は、私がどっさり持っていった両親や兄弟ふくめた家族写真を何よりの土産と喜んでくれた。いつか、私の子供たちといとこの子供たちが会う日がくるのを、私は夢みている。

                    

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