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6.86階から街を、世界を、人生を見渡せば

 寒さを覚悟で、息子の所望する夜のエンパイアステートビルに登った。
1931年来、約70年もの歴史を誇り、ナショナル・ランドマークにも指定されているこのビルは、誰もがNYのシンボルとして一度は訪れる場所だろう。
 ところでエンパイアステートビルにも、実は画廊が存在するのをご存知だろうか?正面玄関を入ってすぐの廊下の両サイド、ガラス張りのショーウィンドーがそれだ。Lobby window exhibitionと銘打って、月替わりでさまざまなアーティストの作品が展示される。その日は、Steve Tracyのペインティングが飾られていた。NYの川沿いの夜景をモチーフにした油絵に、これから体験するビルの展望台に気持ちがはやる。観光スポットの例にもれず、玄関からチケットブースまでの長い廊下は行列がつながっており、前進する速度といい絵画鑑賞にちょうど良い。様々な国から1日6000人もの人がビルを訪れるというから、どこで展示するよりも知名度アップに効果的かもしれない。

て、荘厳なアールデコ様式の装飾が時代の重みを感じさせるエントランスを通過し、ここでもまた係員によるボディチェックを受けたあと、エレベーターで80階へ。エクスプレスなので1分で到着だ。そこで別のエレベーターに乗り換えて、86階で降りる。ガラス扉を開けて寒風の吹く外に出ると、燦然ときらめく夜景のパノラマが広がっていた。
東西にはイースト川とハドソン川の岸まで美しい明かりが帯のように続き、北には輝くビルのはざまに緑豊かなセントラルパークを望む。
南を見渡せば、高いビル郡の向こうにダウンタウンが賑やかにさざめき、さらにその向こうには、かつて遠近感が狂うほど高くそびえていたツインタワーが消えて、ぽっかりと空間ができていた。
夜景の美しいところに、人はみな行きたがる。1つ1つの窓の灯りに人が生きているという確認をして、自分も生きていると暖かく実感する。
普段自分の息づいているところを、いったん離れて遠くから見極めたいという願望もあるのだろうか。人間はロマンティックなアーティストなのだ。
展望台は屋外と、ガラスの内側の一段高くなっているスペースとがあり、寒いのはごめんだという人は、中でぬくぬくと景色を楽しむことができる。私も出たり入ったりして寒さをしのいでいた。息子はというと、動物園のクマのようにぐるぐるといつまでもまわっている。時折ここぞという地点で、夜景をよりきれいに撮影するためにわざわざ柵の外側に手をだしてカメラを構えるという至難の技を繰り返しているが、ふと見ると側にいる青年も、同じことをやっている。息子は彼の真似をしていたのだ。一見アホらしいこだわりに集中する大人ほど、子供を惹きつけるものはないようだ。
夜中の12時、他のお客とともに最終のエレベーターで降りる途中、他の階から書類を抱えた男性が乗ってきた。テレビ局の社員で、今まで残業だったという。そういえば、ビルのてっぺんに伸びる60メートルの棒はテレビアンテナである。人生観が変わるほどの輝かしい眺めを望める場所が、毎日ルーティンワークに追われるオフィスだという人が居るというのもなんと面白い発見だろう。彼は「景色なんか見るヒマないよ」と苦笑いしていた。

宝石が輝くようなビル郡の美しさに、人の創るもの、人間そのもののすばらしさを再認識した。雄大な自然を前に人は人生を考えるが、エンパイアからの眺めもまた、そんな効果があるような気がする。
息子との小さなNYの旅は成功だった。残る2人の子供たちは、それぞれ何を見たがり、知りたがるだろう?
まっすぐに、迷うことなく、かけがえの無いものを大切に生きたい。
 


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