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3.雨の教会からチャイナタウンへ

翌日は雨だった。傘をさして、朝早くからグラウンドゼロへ向け出発。
一昨年訪ねた時とは様変わりしていて、駅もできて新しい建築現場が見渡せるようになっていた。いずれ、高さでは前とひけをとらない建造物が、跡地にそびえたつのだろう。
静かに手を合わせ、祈りたい気分になり、すぐ近くのトリニティ教会へ行ってみた。
ニューヨークで最古の歴史を持つ教会で、美しいステンドグラスで彩られたゴシック様式が威風を誇っている。
余談だが、私の父方の祖父が敬虔なクリスチャンだったこともあり、幼い頃はよく教会へ行ったものだ。今は全く縁がないが、なぜか近頃親しい人が洗礼を受けたり、本土に住むクリスチャンの叔母から「貴女が持っていなさい」と、祖父が最後に使ったという皮張りの聖書が送られて来たり、キリスト教を意識する機会がやたら増えているこの頃だ。
トリニティ教会の中では、聖歌隊の朝の練習と、一組の家族が赤ちゃんの洗礼式でなごやかなひとときを過ごしているのみだった。
広い聖堂の末席にしばらく腰かけて、世界平和のことを、家族の健康と安全のことを、そして子供達の素晴らしい未来のことを、心から祈った。母親というものは、初詣・墓参り・流れ星・・どんな時でも祈りの内容はおんなじだ。
傍らの息子も、なにやらこれからやって来る彼自身の人生の荒波に向けて、胸中で着々と準備を進めている模様。誠に結構。
これからの若者にとって、人生はよりいっそうサバイバルだ。早いうちに自分の適正をみつけ、軌道にのせるべきだろう。

教会を出て次に向ったところはチャイナタウン。教会の静謐で繊細な空気とはうって変わって、そこはもう、さながらサバイバルの見本市。中国語の看板が賑やかなキャナルストリートを中心に、路上にまでぎっしりと物売りがひしめき、通行人が多すぎて身動きが取れない。雨で商品が濡れようと店の人はお構いなし。買う側も、お馴染みのブランドバッグにPRADOと書かれていようがお構いなしという具合。老若男女入り混じり、多国語が飛び交い、食べ物はじめあらゆるものの匂いでごった返した喧騒の移民街のエネルギーには、いつも圧倒される。
混沌としたものが好きな私に比べ、割にきちんと整備された秩序正しいものが好みの息子は、心なしか足早になっていたようだ。
一緒に行動してみると、子供の特質がよくわかって面白い。
地図や見取り図を解読するのが得意な息子は方向音痴ぎみの私の助けになってくれるし、ふだんから時間に正確な彼は、タイムキーパーとしても役だってくれた。
お昼は小奇麗なところで食べようという息子に引っ張られるように、中華街を後にした。

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